2017年03月25日

三国志 Three Kingdoms 夷陵の戦い

中国のドラマ「三国志 Three Kingdoms」のDVDを購入して見てましたが、途中で飽きて放置してました。
ブログによると34話目で三顧の礼辺りまでは見たようです。

そして先日、我が父上様が見たいというのでDVDを送り、この前仕事で大坂に帰った際にちょこっとだけ見ました。
見たところが関羽が呉に殺され、劉備が復讐のため東征するところから呉蜀同盟復活までです。

改めて見てみると結構面白かったです、夷陵の戦いは。
結構オリジナリティがあって良かった。
劉備の戦略がさえ快進撃を続けるし、魏の曹丕、司馬懿も蜀が勝つだろうと思ってるし、陸遜が序盤はあんまり有能っぽく見えないところも良い。
劉備の敗因に滅茶苦茶長々と軍の陣営を張ったところもありますが、それの理由になりそうな伏線を作っていて三国志ヲタの私から見ても面白い展開だなあと思いました(実際には予想はずれていて、結局時間稼ぎだけだったぽいですが)。


さて、三国志を見てる人なら誰もが思うのが、なぜ孔明が東征に行かなかったのかです。
趙雲ともども東征するのを反対したから、劉備が来なくていいと言った感じですね。

そもそも将軍クラスでも黄忠、張苞、関興くらいしか連れて行ってないのも変な話です。
趙雲は反対したからまだしも、魏延やら馬超、馬岱とかもっとまともな歴戦の将軍が居るのに連れて行かないのも変な話。
※三国志演義ではともかく、正史上では馬超はすでに死んでます。
国の総力を上げて短期決戦でするなら、むしろ逆にした方がいいんじゃんなかろうかと思ったりもした。
兵70万に対して中級クラス将軍ばかりってまさに烏合の衆って感じですね。
呉と同盟組んだ後に南征しますが、そのときには趙雲、魏延、馬岱というのを連れて行ってるし、どうなんだろうか。
孔明は負けてしまえという感じで送り出したようにしか見えなくもない。

戦下手で経験値だけががある劉備が戦略、戦術まで決定していたのも問題ですが、残念ながら軍師不在なのでしょうがない。
魏とか呉とかと違って、軍師というか参謀が蜀には龐統と法正くらいしかいなくて、この頃には両者とも残念ながら亡くなっていた。
法正は孔明も「法正が居てくれたらこんな敗戦にはならなかっただろう」と言うくらい有能でした(滅茶苦茶仲は悪かったみたいですが)。
孔明が行っていればどうなっていたかというのは気になるところですが、史実上行ってないので描きようがないですね。
もし行っていて負けていたら、神がかってる孔明を描けなかったことを考えると、三国志演義の著者の羅漢中てきには孔明が行ってなくてよかったなあというところですか。

とりあえず、意外と面白かったのでまたそのうち一から見てみようかなあという気にはなりました。
当分返ってきませんが。。。

三国志1.pngあと、光栄の三国志1が好きな父上様との会話で、私が「張飛が駐屯していた閬中ってどこだっけ」と思って調べてみて「漢中の南西くらいか」とつぶやくと、父上様は「漢中は23国だから、47国か」と言われて、確かにヲタクな我々にとってはそっちのほうが地理的にわかりやすいと感嘆した次第です。
posted by 士季 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月27日

曹操墓は本物と裏付けか

2009年12月27日に曹操の墓(魏武王高陵)を発見かというニュースが報道されてました。
正式名は「西高穴2号墓」と言う。
その真偽のほどは定かではなかったが、2016年11月18日の産経新聞によると出土品などから本物を裏付けていると報道されたようです。

曹操の墓だというそもそもの根拠は、
・墓の位置が曹操の遺命で指定した位置と合致
・墓葬の規模が王侯クラス(曹操は魏王)
・墓葬の形態的特徴と出土遺物から、墓葬年代は後漢後期
・魏武王と刻まれた出土品(曹操の諡号が武なので)
などなどから曹操の墓っぽいとのことです。
悲しいところとしては、曹操らしき頭骨(推定年齢60歳位。曹操は享年66歳)が「前室の前部から出土」とあり、変なところから出てきているので、盗掘されたときに荒らされたのかなあ。。。
曹操に関して新たになんかわかると良いのだが
posted by 士季 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

呉 三国志

伴野朗(とものろう)著の「呉 三国志 長江燃ゆ 」全10巻を読みました。

中国歴史小説をよく読んでいる人でない限りは知らないと思いますが、伴野朗は2004年に亡くなられておりますが、新聞社で上海支局長を勤めたりした小説家です。

そういうこともあるのか、中国史全般(春秋戦国~毛沢東くらいまで)の歴史小説を書いており、全般的にいろいろ書いているのは後は私の知る限りでは陳舜臣くらいしか知りません。

中国歴史小説で比較的広範囲で書いているのは、塚本靑史が春秋戦国~唐(李世民)、小前亮が三国時代~清(三藩の乱)くらいですかね。

私の一押しの宮城谷昌光は夏~三国時代と古代中国をよく書いてますが晋以降は書いてないし、きっと書いてくれないでしょう。

そういう意味では若手の小前亮(40才くらい)にはいろいろ期待したいところです。

で、本題の呉三国志ですが、タイトルどおり呉を中心として描いた三国志です。

それも正史に準拠した三国志・・・というか正史を引用しまくってます。

第1巻は孫堅、第2巻は孫策、第3~10巻が孫権(10巻は三国統一まで書いてます)という構成です。

第1巻の孫堅は三国志演義しか知らない人はまず知らない許昌や区星を滅ぼしたところなどが書かれており、また戦術も詳しく描かれていてオリジナリティ満載で面白かったです。

第1巻の終盤から諜報機関が登場し、その諜報機関による情報を使った情報戦で三国志を描くとあとがきにあり、なかなか期待させてくれました。

Photo

第2巻はまだ三国が揃ってないこともあり、まだまだ情報戦が少ないもののそこそこ面白いできでしたが、第3巻以降は劉備の台頭ということもあり、そっちの方の記載が多くなり、せっかく呉が中心だったのに半分以下くらいしか描かれていないのが残念です。

特にオリジナリティ(諜報機関同士の争い以外)がほとんどなく、マイナー武将がちょこちょこ現れて、正史を引用した紹介をしたり、赤壁以降はそういう武将による蛮族鎮圧とかが多くなってくるので厄介です。

で、この三国志の特徴というか呉は実は蛮族(山越など)に悩まされていて、積極的に魏とかに侵攻できなかった事実が書かれてます。

毎年のように蛮族が反乱を起こし、それの鎮圧に陸遜とか太史慈とか有名武将が実は駆りだされていたのが実情です。

その辺りがこの呉三国志ではよくわかります(陳舜臣の秘本三国志でも書かれてましたが)。

また人口問題についても書かれてます。

三国志の領土として上野画像のように色分けされているのがよくありますが、これだけを見ると魏と呉の領土面積は同じくらいだし、蜀もせいぜいその半分くらいでそこまで狭くありません。

しかし人口(戸籍がわかってる範囲で)は魏が443万人、呉が230万人、蜀が94万人です。

2

その差は実際に人が住んでいる地域を色付けしてみると、左の画像(この画像はネットから適当に拾ってきてます)の黄色部分になり、魏はだいたい国土のそのまんまですが、蜀は山ばかりなので人が住んでいる地域が少なく、呉は蛮族が多く支配が実際には行き届いていないのが実情です。

蜀はともかく呉は領土が広い割には蛮族等のために兵を割かなければいけないので、常に人不足に陥っていたというのがよく書かれてました。

そういう意味では演義しか知らない人にとって、いろいろ情報が得られるのでそういう意味では貴重な作品です。

また別の意味で貴重な作品としては、孔明死後の世界も描かれてます。

だいたいの小説は孔明の死で終わるのが通例ですが、この作品では晋による統一まで書かれていて、孫権の豊臣秀吉の老害以上老害っぷりが描かれています。

孫権は終盤、佞臣を寵愛したり、皇太子とお気に入りの皇子を同等に扱った結果お家騒動に陥って功臣(陸遜とかが)が死んでしまったりしてます。

最後にこの人の特徴ですが、中国にいたということもあり、話の途中で実際に観光か見学で行った時の情報をいろいろ書いてます。

そこで足止めをくらったような感じがして嫌になる人も多い中、私は比較的気にならない方でしたが、この呉三国志については頻繁に出てきて非常に鬱陶しかった。

その点と呉という視点で描かれていたのが中盤少なかったのが残念ところでしたが、いろいろな人物やエピソードが出てきて興味が湧いたこともいろいろあったのは収穫でした。

posted by 士季 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

三国志ツクール

十数年前くらいにRPGツクールが出たり、それ以降XXXツクールなるものが出ているような気がしますが、今年12月10日に三国志ツクールなるものがWindows版で発売される。

これは三国志2をベースにしたベーシックな歴史シミュレーションゲームが作れる。

プロモーションムービーを見る限りでは信長の野望のキャラとかはデフォルトでついていて、あとは画像とかを取り込んでオリジナルキャラを作ったりすることも可能。

当然、武将の能力値も設定できる。

10年くらい前なら喜々として作っていたんだろうが、値段も安いけど、今はやる気が起きない。

一応、三国志11くらいまではやっていたような気がするがさすがに飽きた。

三国志の武将のパラメータ値も結構不満なところが多々あったので、自分の思っている能力値を設定できるのは嬉しい。

また同じ中国を舞台に他の時代のものを作ることができる。

今、作るとしたら以下の時代を作ると思う。

・春秋時代(小国も多く、30国くらいになりそう)

・戦国時代(戦国七雄+α)

・戦国時代(キングダムエディション)

・楚漢戦争(秦滅亡後に劉邦含め各地に封国された状態でそれぞれ独立国として乱立状態か)

・後漢再興(王莽の新、更始帝、光武帝などなど乱立しているときか。まあ武将が光武帝が偏ってそうだからワンサイドゲームになりそう)

・五胡十六国オールスター(政治力低そう)

・隋唐演義(やはり唐に偏りそう)

・五代十国オールスター(五胡十六国同様)

・元明(朱元璋ものは基本東に偏ってるから西の方がさっぱりわからない)

なんか書いてると作りたくなってくるが、時間さえあればなあ・・・

HP:三国志ツクール

posted by 士季 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月09日

三国時代の書家

顔真卿の列伝を最近読んだので、ちょっと違いますが三国時代の書家について調べてみた。

ちなみに顔真卿は唐時代の書家です。

中国でも昔から達筆の人は尊敬されてました。 
当然のことながら、書道という形ではないですが、三国志の時代でもファンがいるものです。 

そして数百年後の南北朝時代の梁(502~557年)の庾肩吾という人物が漢~梁までの書道家に対してランキングをつけました。 
ランキングは上中下の3段階にそれぞれにさらに上中下の計9段階で評価されてます。 
ここで、三国時代の人物だけピックアップしてみると(覚えてる限り)、 

■上之上 
 鍾繇 
 (参考までに書聖と歌われる王羲之もランクイン) 
■上之下 
 梁鵠・皇象:胡昭・鍾会・衛瓘 
■中之中 
 曹操、孫皓、杜預 
■中之下 
 張昭、(陸機) 
■下之上 
 羊祜 
■下之中 
 諸葛融 


です。 
上の上の最上ランクにランク・インした鍾繇は魏の国の名宰相。 
前漢の蕭何に比されるとも言われる後援部隊の達人。 
鍾繇体と言われるぐらい・・・ 
いろいろなヲタクで知られる曹丕(魏の初代皇帝)も戦陣で鍾繇からの手紙をもらってやっほいと大喜びするぐらいです(たしか)。 

上の下にランク・インした中では梁鵠は曹操の元上司、皇象は呉の八絶の一人(蒼天航路でも名前だけ登場)で、鐘会は上記の鍾繇の子供で蜀を滅ぼした人物の一人。 
で、三国志ヲタクの中では有名な胡昭。 
なぜ有名かというと字が、孔明だからです。 

中の中にランク・インしたのは、完璧万能人の曹操と、呉を自滅させた愚かな皇帝孫皓。 
無様で愚かなだけかと思いきや、書の達人とはびっくり。 
杜預は逆に呉を滅ぼした晋の武将の一人で、春秋左氏伝大好きな人物。杜甫のご先祖様。 
曹操は孫子の兵法の註釈をして、それがほとんどベースになってたり、杜預は春秋左氏伝の註釈で、それが現代の訳のベースになっていたりしてます。 

中の下の張昭は呉の長老と言われる人物で、孫策が没した時に内政ならこの人にお任せと言われたお人。 
ただ、口やかましいところがあって、孫権に嫌がられたりした。 
丞相候補筆頭だったけど嫌われてたからなれなかったり、「お前の言うこと聞かなかったから今の俺(皇帝になれた)がある」と孫権に皮肉られたり、なかなか可愛そうなお人。 
陸機は陸遜の孫で、以前に書いた陸雲の兄。 

下の上の羊祜は杜預の前の呉征討の司令官。 

下の中の諸葛融は諸葛瑾(孔明の兄)の子。 

その他には日本インターネット書道協会の書道人物事典によると、

呉の劉纂(りゅうさん)、岑伯年(しんはくねん)、魏の宋翼、衛覬(えいき)、邯鄲淳、韋誕らが有名だそうです。

最初に上げた鍾繇と皇象が双璧のようです。

それにしても蜀の人は全くなし。

蜀は史家も置かなかったし、文化面では魏呉に比べると、かなり後進国だなあと感じるところです。

posted by 士季 at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする