2017年06月17日

三国志の人物の字で日本人の名前にできそうなのは

最近一緒に仕事をした他社の人で、名前が孔明という人が居た。
両親のどちらかが三国志好きなんだろうなと思いつつ、間違いなく名前負けするに違いない名前をよくもつけれたものだと感心します。
ちなみにググってみる(みんなの名前辞典参照)と孔の読み方(訓読み?)として「あな」「うし」「く」「ただ」「みち」「よし」があるみたいです。
読み方なんてその気になれば適当につけれますが、このパターンでいくとまともな名前としては「ただあき」「みちあき」「よしあき」あたりが無難でしょうか。
明も「とし」「てる」「くに」「のり」「はる」「ひろ」「みつ」「よし」というのがあるみたいなので何かしらつけれそうではある。

さて、他の三国志の人物の字(あざな)で日本人の名前につけれそうなのはあるかなとちょっと考えてみたり、最近発売された三国志辞典(三国志研究第一人者の渡邉先生著)を紐解いてみたがやはりあんまりなかった。
無難そうな人物を上げてみます。

■元直
 言わずと知れた徐庶の字。素直に「もとなお」と読めます。
 実際、日本の戦国時代の毛利家の武将で熊谷元直というのが居ます。

■孝直
 蜀の軍師、法正の字。「たかなお」で変換かけると出るし普通にいそうです。ググってみると何人かヒットします。

■公明
 魏の名将徐晃や占い師管路の字。「きみあき」で出てきそう。

■元宗
 呉の最後の皇帝の孫皓の字。「もとむね」と読める。
 これまた、日本の戦国時代の伊達家の武将で亘理元宗というのが居ます。

■文則
 魏の名将だけど最後が関羽に降伏して残念な于禁の字。「ふみのり」と読める。
 小説家で中村文則という人がいるらしい。

■文博
 三国志演義では不遇(だった記憶がある)な魏の武将朱霊の字。「ふみひろ」と読める。

■憲和
 ゲームで劉備勢の序盤で劉備三兄弟+αでいる簡雍の字。「のりかず」と読める。

■義真
 黄巾の乱平定立役者である皇甫嵩の字。「よしまさ」「よしざね」と読める。

とりあえず三国志演義でも出てきそうな有名所で素直に読めそうなのをピックアップしてみた。
逆に有名どころ無理やり読んでみるとどうなるか考えてみた。

■孟徳(曹操)→たけのり
■玄徳(劉備)→はるのり
■仲謀(孫権)→? 「謀」が「こと」「のぶ」しかないので、「なかのぶ」になるのか?
■雲長(関羽)→ゆきなが ※雲は「ゆく」と読めるらしいので「ゆき」とした
■益徳(張飛)→ますのり、みつのり、やすのり
■翼徳(張飛)→? 「翼」がどうしても三文字読みしかないので無理。
 ※ちなみに演義では翼徳で、正史では益徳なのは中国語読みでは「翼」と「益」の発音が同じ(yi)なので間違ったらしい。名の飛とは翼の方が関連性が強そうなのでもっともらしいところです。
■子龍(趙雲)→しりゅう。子を「しげ」「さね」「たか」という読みがあるので訓読みでも頑張ればつけれそう。
■文台(孫堅)→? 「台」の読みが「もと」「うてな」くらいなので難しい。「ふみもと」かな?
■伯符(孫策)→? 「符」の読みが「わりふ」くらいなので難しい。
■公瑾(周瑜)→「瑾」が人名漢字じゃないので読めない。

意外と名前を考えるというか読みを考えるのは楽しかったですw
posted by 士季 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

三国志 Three Kingdoms 夷陵の戦い

中国のドラマ「三国志 Three Kingdoms」のDVDを購入して見てましたが、途中で飽きて放置してました。
ブログによると34話目で三顧の礼辺りまでは見たようです。

そして先日、我が父上様が見たいというのでDVDを送り、この前仕事で大坂に帰った際にちょこっとだけ見ました。
見たところが関羽が呉に殺され、劉備が復讐のため東征するところから呉蜀同盟復活までです。

改めて見てみると結構面白かったです、夷陵の戦いは。
結構オリジナリティがあって良かった。
劉備の戦略がさえ快進撃を続けるし、魏の曹丕、司馬懿も蜀が勝つだろうと思ってるし、陸遜が序盤はあんまり有能っぽく見えないところも良い。
劉備の敗因に滅茶苦茶長々と軍の陣営を張ったところもありますが、それの理由になりそうな伏線を作っていて三国志ヲタの私から見ても面白い展開だなあと思いました(実際には予想はずれていて、結局時間稼ぎだけだったぽいですが)。


さて、三国志を見てる人なら誰もが思うのが、なぜ孔明が東征に行かなかったのかです。
趙雲ともども東征するのを反対したから、劉備が来なくていいと言った感じですね。

そもそも将軍クラスでも黄忠、張苞、関興くらいしか連れて行ってないのも変な話です。
趙雲は反対したからまだしも、魏延やら馬超、馬岱とかもっとまともな歴戦の将軍が居るのに連れて行かないのも変な話。
※三国志演義ではともかく、正史上では馬超はすでに死んでます。
国の総力を上げて短期決戦でするなら、むしろ逆にした方がいいんじゃんなかろうかと思ったりもした。
兵70万に対して中級クラス将軍ばかりってまさに烏合の衆って感じですね。
呉と同盟組んだ後に南征しますが、そのときには趙雲、魏延、馬岱というのを連れて行ってるし、どうなんだろうか。
孔明は負けてしまえという感じで送り出したようにしか見えなくもない。

戦下手で経験値だけががある劉備が戦略、戦術まで決定していたのも問題ですが、残念ながら軍師不在なのでしょうがない。
魏とか呉とかと違って、軍師というか参謀が蜀には龐統と法正くらいしかいなくて、この頃には両者とも残念ながら亡くなっていた。
法正は孔明も「法正が居てくれたらこんな敗戦にはならなかっただろう」と言うくらい有能でした(滅茶苦茶仲は悪かったみたいですが)。
孔明が行っていればどうなっていたかというのは気になるところですが、史実上行ってないので描きようがないですね。
もし行っていて負けていたら、神がかってる孔明を描けなかったことを考えると、三国志演義の著者の羅漢中てきには孔明が行ってなくてよかったなあというところですか。

とりあえず、意外と面白かったのでまたそのうち一から見てみようかなあという気にはなりました。
当分返ってきませんが。。。

三国志1.pngあと、光栄の三国志1が好きな父上様との会話で、私が「張飛が駐屯していた閬中ってどこだっけ」と思って調べてみて「漢中の南西くらいか」とつぶやくと、父上様は「漢中は23国だから、47国か」と言われて、確かにヲタクな我々にとってはそっちのほうが地理的にわかりやすいと感嘆した次第です。
posted by 士季 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月27日

曹操墓は本物と裏付けか

2009年12月27日に曹操の墓(魏武王高陵)を発見かというニュースが報道されてました。
正式名は「西高穴2号墓」と言う。
その真偽のほどは定かではなかったが、2016年11月18日の産経新聞によると出土品などから本物を裏付けていると報道されたようです。

曹操の墓だというそもそもの根拠は、
・墓の位置が曹操の遺命で指定した位置と合致
・墓葬の規模が王侯クラス(曹操は魏王)
・墓葬の形態的特徴と出土遺物から、墓葬年代は後漢後期
・魏武王と刻まれた出土品(曹操の諡号が武なので)
などなどから曹操の墓っぽいとのことです。
悲しいところとしては、曹操らしき頭骨(推定年齢60歳位。曹操は享年66歳)が「前室の前部から出土」とあり、変なところから出てきているので、盗掘されたときに荒らされたのかなあ。。。
曹操に関して新たになんかわかると良いのだが
posted by 士季 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月21日

呉 三国志

伴野朗(とものろう)著の「呉 三国志 長江燃ゆ 」全10巻を読みました。

中国歴史小説をよく読んでいる人でない限りは知らないと思いますが、伴野朗は2004年に亡くなられておりますが、新聞社で上海支局長を勤めたりした小説家です。

そういうこともあるのか、中国史全般(春秋戦国~毛沢東くらいまで)の歴史小説を書いており、全般的にいろいろ書いているのは後は私の知る限りでは陳舜臣くらいしか知りません。

中国歴史小説で比較的広範囲で書いているのは、塚本靑史が春秋戦国~唐(李世民)、小前亮が三国時代~清(三藩の乱)くらいですかね。

私の一押しの宮城谷昌光は夏~三国時代と古代中国をよく書いてますが晋以降は書いてないし、きっと書いてくれないでしょう。

そういう意味では若手の小前亮(40才くらい)にはいろいろ期待したいところです。

で、本題の呉三国志ですが、タイトルどおり呉を中心として描いた三国志です。

それも正史に準拠した三国志・・・というか正史を引用しまくってます。

第1巻は孫堅、第2巻は孫策、第3~10巻が孫権(10巻は三国統一まで書いてます)という構成です。

第1巻の孫堅は三国志演義しか知らない人はまず知らない許昌や区星を滅ぼしたところなどが書かれており、また戦術も詳しく描かれていてオリジナリティ満載で面白かったです。

第1巻の終盤から諜報機関が登場し、その諜報機関による情報を使った情報戦で三国志を描くとあとがきにあり、なかなか期待させてくれました。

Photo

第2巻はまだ三国が揃ってないこともあり、まだまだ情報戦が少ないもののそこそこ面白いできでしたが、第3巻以降は劉備の台頭ということもあり、そっちの方の記載が多くなり、せっかく呉が中心だったのに半分以下くらいしか描かれていないのが残念です。

特にオリジナリティ(諜報機関同士の争い以外)がほとんどなく、マイナー武将がちょこちょこ現れて、正史を引用した紹介をしたり、赤壁以降はそういう武将による蛮族鎮圧とかが多くなってくるので厄介です。

で、この三国志の特徴というか呉は実は蛮族(山越など)に悩まされていて、積極的に魏とかに侵攻できなかった事実が書かれてます。

毎年のように蛮族が反乱を起こし、それの鎮圧に陸遜とか太史慈とか有名武将が実は駆りだされていたのが実情です。

その辺りがこの呉三国志ではよくわかります(陳舜臣の秘本三国志でも書かれてましたが)。

また人口問題についても書かれてます。

三国志の領土として上野画像のように色分けされているのがよくありますが、これだけを見ると魏と呉の領土面積は同じくらいだし、蜀もせいぜいその半分くらいでそこまで狭くありません。

しかし人口(戸籍がわかってる範囲で)は魏が443万人、呉が230万人、蜀が94万人です。

2

その差は実際に人が住んでいる地域を色付けしてみると、左の画像(この画像はネットから適当に拾ってきてます)の黄色部分になり、魏はだいたい国土のそのまんまですが、蜀は山ばかりなので人が住んでいる地域が少なく、呉は蛮族が多く支配が実際には行き届いていないのが実情です。

蜀はともかく呉は領土が広い割には蛮族等のために兵を割かなければいけないので、常に人不足に陥っていたというのがよく書かれてました。

そういう意味では演義しか知らない人にとって、いろいろ情報が得られるのでそういう意味では貴重な作品です。

また別の意味で貴重な作品としては、孔明死後の世界も描かれてます。

だいたいの小説は孔明の死で終わるのが通例ですが、この作品では晋による統一まで書かれていて、孫権の豊臣秀吉の老害以上老害っぷりが描かれています。

孫権は終盤、佞臣を寵愛したり、皇太子とお気に入りの皇子を同等に扱った結果お家騒動に陥って功臣(陸遜とかが)が死んでしまったりしてます。

最後にこの人の特徴ですが、中国にいたということもあり、話の途中で実際に観光か見学で行った時の情報をいろいろ書いてます。

そこで足止めをくらったような感じがして嫌になる人も多い中、私は比較的気にならない方でしたが、この呉三国志については頻繁に出てきて非常に鬱陶しかった。

その点と呉という視点で描かれていたのが中盤少なかったのが残念ところでしたが、いろいろな人物やエピソードが出てきて興味が湧いたこともいろいろあったのは収穫でした。

posted by 士季 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

三国志ツクール

十数年前くらいにRPGツクールが出たり、それ以降XXXツクールなるものが出ているような気がしますが、今年12月10日に三国志ツクールなるものがWindows版で発売される。

これは三国志2をベースにしたベーシックな歴史シミュレーションゲームが作れる。

プロモーションムービーを見る限りでは信長の野望のキャラとかはデフォルトでついていて、あとは画像とかを取り込んでオリジナルキャラを作ったりすることも可能。

当然、武将の能力値も設定できる。

10年くらい前なら喜々として作っていたんだろうが、値段も安いけど、今はやる気が起きない。

一応、三国志11くらいまではやっていたような気がするがさすがに飽きた。

三国志の武将のパラメータ値も結構不満なところが多々あったので、自分の思っている能力値を設定できるのは嬉しい。

また同じ中国を舞台に他の時代のものを作ることができる。

今、作るとしたら以下の時代を作ると思う。

・春秋時代(小国も多く、30国くらいになりそう)

・戦国時代(戦国七雄+α)

・戦国時代(キングダムエディション)

・楚漢戦争(秦滅亡後に劉邦含め各地に封国された状態でそれぞれ独立国として乱立状態か)

・後漢再興(王莽の新、更始帝、光武帝などなど乱立しているときか。まあ武将が光武帝が偏ってそうだからワンサイドゲームになりそう)

・五胡十六国オールスター(政治力低そう)

・隋唐演義(やはり唐に偏りそう)

・五代十国オールスター(五胡十六国同様)

・元明(朱元璋ものは基本東に偏ってるから西の方がさっぱりわからない)

なんか書いてると作りたくなってくるが、時間さえあればなあ・・・

HP:三国志ツクール

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2015年05月09日

三国時代の書家

顔真卿の列伝を最近読んだので、ちょっと違いますが三国時代の書家について調べてみた。

ちなみに顔真卿は唐時代の書家です。

中国でも昔から達筆の人は尊敬されてました。 
当然のことながら、書道という形ではないですが、三国志の時代でもファンがいるものです。 

そして数百年後の南北朝時代の梁(502~557年)の庾肩吾という人物が漢~梁までの書道家に対してランキングをつけました。 
ランキングは上中下の3段階にそれぞれにさらに上中下の計9段階で評価されてます。 
ここで、三国時代の人物だけピックアップしてみると(覚えてる限り)、 

■上之上 
 鍾繇 
 (参考までに書聖と歌われる王羲之もランクイン) 
■上之下 
 梁鵠・皇象:胡昭・鍾会・衛瓘 
■中之中 
 曹操、孫皓、杜預 
■中之下 
 張昭、(陸機) 
■下之上 
 羊祜 
■下之中 
 諸葛融 


です。 
上の上の最上ランクにランク・インした鍾繇は魏の国の名宰相。 
前漢の蕭何に比されるとも言われる後援部隊の達人。 
鍾繇体と言われるぐらい・・・ 
いろいろなヲタクで知られる曹丕(魏の初代皇帝)も戦陣で鍾繇からの手紙をもらってやっほいと大喜びするぐらいです(たしか)。 

上の下にランク・インした中では梁鵠は曹操の元上司、皇象は呉の八絶の一人(蒼天航路でも名前だけ登場)で、鐘会は上記の鍾繇の子供で蜀を滅ぼした人物の一人。 
で、三国志ヲタクの中では有名な胡昭。 
なぜ有名かというと字が、孔明だからです。 

中の中にランク・インしたのは、完璧万能人の曹操と、呉を自滅させた愚かな皇帝孫皓。 
無様で愚かなだけかと思いきや、書の達人とはびっくり。 
杜預は逆に呉を滅ぼした晋の武将の一人で、春秋左氏伝大好きな人物。杜甫のご先祖様。 
曹操は孫子の兵法の註釈をして、それがほとんどベースになってたり、杜預は春秋左氏伝の註釈で、それが現代の訳のベースになっていたりしてます。 

中の下の張昭は呉の長老と言われる人物で、孫策が没した時に内政ならこの人にお任せと言われたお人。 
ただ、口やかましいところがあって、孫権に嫌がられたりした。 
丞相候補筆頭だったけど嫌われてたからなれなかったり、「お前の言うこと聞かなかったから今の俺(皇帝になれた)がある」と孫権に皮肉られたり、なかなか可愛そうなお人。 
陸機は陸遜の孫で、以前に書いた陸雲の兄。 

下の上の羊祜は杜預の前の呉征討の司令官。 

下の中の諸葛融は諸葛瑾(孔明の兄)の子。 

その他には日本インターネット書道協会の書道人物事典によると、

呉の劉纂(りゅうさん)、岑伯年(しんはくねん)、魏の宋翼、衛覬(えいき)、邯鄲淳、韋誕らが有名だそうです。

最初に上げた鍾繇と皇象が双璧のようです。

それにしても蜀の人は全くなし。

蜀は史家も置かなかったし、文化面では魏呉に比べると、かなり後進国だなあと感じるところです。

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2015年04月26日

赤壁の戦い:華容道について考えてみた

吉川英治「三国志」をちまちま読んでますが、今赤壁の戦いを読み終わったところです。

青空文庫でただで読めるのはありがたい限りです。

一応、まずは赤壁の戦いについておさらい。

まず三国志の時代には天下分け目の戦いが2つあり、西暦200年の官渡の戦い(曹操VS袁紹)、208年の赤壁の戦い(曹操VS孫権・劉備連合)です。

官渡の戦いで袁紹に勝利した曹操は中国の北半分(というか中心部)を制し、呉の孫権征伐へと乗り出した。

兵力差は100万VS3万(劉備軍含まず)という絶望的な差。

といっても戦場は長江(揚子江)であり、水軍不得手な曹操軍と得手な孫権軍なのでまだ孫権軍にも勝機はあり、1戦で葬り去るすべとしては火計で曹操水軍を屠る。

龐統の連環の計により曹操軍の戦艦同士を鎖で結合し、孔明の奇術で南東の風を呼び起こし都合の良い風を吹かせ、周瑜の火計で曹操の水軍を全滅させることができた。

その後、曹操の水軍基地である烏林は孫権軍によりコテンパンに攻められ、死に体となった曹操ですが、このとき江陵という城を目指して逃亡する。

この逃避行上で劉備軍が待ち受ける。

それを事前に読んだ孔明さんは次の3つの場所に伏兵を設ける。

①烏林の間道(江陵宛)に趙雲を伏兵

②その先の夷陵行きの道に張飛を伏兵

③その先の華容道に関羽を伏兵

ただ③の伏兵に関しては、孔明さんは情に厚い関羽だから死に体で恩義のある曹操を見逃すだろうと予測。

関羽は白馬の戦い(官渡の戦いの前哨戦)で、顔良、文醜を討ったことで恩は返したと反論。

では誓紙を書かせて赴かせるも、劉備はやっぱり関羽だから見逃しそうだという。

それについて孔明は「天文みると、曹操の命脈はつきてない。それならここで関羽に義理を果たさせてすっきりさせたほうがいいだろう」と言い、劉備は孔明の神算凄すぎと感嘆する。

で、実際に孔明の読み通りの展開となり、曹操は無事江陵へたどり着くことになる。

ちなみに曹操は①~③の伏兵場所に来ると突然笑い出し、「周瑜も孔明も凡才だなあ。もし自分だったらここに伏兵置いて一網打尽にするのに」と毎回フラグを立て、その都度、趙雲、張飛、関羽が現れて、「ゲゲッ」と言って逃げ出す始末。

少なくとも③のところで言い出した時には、兵士たちは「丞相がまた言い出した。趙雲、張飛と来たら、次は関羽が来ちゃう。余計なこと言わんといて!」と思ったに違いない。

さて、本題に入りたいと思いますが、華容道に関羽を配置した結果、曹操は逃亡してしまうわけですが、関羽以外を配置したらいいじゃねえかと思う。

生半可のやつなら突破される危険性があるなら、張飛か趙雲・・・粗忽な張飛よりも与えられた仕事はきっちりやりとげそうな仕事人趙雲に任せれば、間違えはないだろう。

なので①を関羽、③を趙雲にすれば曹操を簡単に打ち取れそうなもんです。

①の仕事は曹操にとって知名度のある武将が登場すればなんなく果たせる仕事なので、関羽で全然問題ないと思う。

ということを論理的に考えれば問題ないような気がする(私的には穴は見つからない)が、如何に神のごとき孔明さんでも天文(後世から見た史実)には勝てないもので、結果が同じならより良い方がいいということで、演義のような話になったと言える。

またWikipediaの赤壁の戦いの項目を見てみると、「仮に曹操を討ち取れたとしてもその分、孫権が強大になるだけなので、それよりかは曹操を生かした方が良い」ということを言ったように書かれているが、羅漢中の三国志演義には記載は見当たらない。

しかし結果的には強大になるかもしれないが、それは大分先の話だと思う。

こんな危急存亡の秋なのにたった3万(増員して5万程度か)しかない兵力だし、仮に他に守備にまわしていた分を追加してもたかがしれてるから、進軍速度は遅そう。

この場合、劉備は用済みということで、周瑜に速攻攻められる危険性はあるけど、演義の孔明ならなんとかできるでしょう(兵力差もそこまでないし)し、孔明の舌先三寸でなんとかなりそうな気がする。

ということで曹操を生かした方が天下三分の計目指すには良いかもしれないけど、天下統一を目指すなら、曹操死んだほうがまだ可能性はありそうな気がする。

まあ演義なんてお話なんで、歴史的史実は動かせないからしょうがありませんが、改めてこんなことを考えてみました。

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2015年01月10日

張郃

吉川英治の三国志が青空文庫になっているので、ちょっとずつ読んでおり、6巻の孔明が最後に登場する巻まで読んだ。

この巻の最初は、赤壁の戦い以上に天下分け目の戦いである袁紹VS曹操の官渡の戦いから始まる。

なぜか横山三国志では省略されていたりするが、圧倒的な兵力をもつ袁紹軍に対して苦戦を強いられる曹操軍ですが、袁紹を見限った許攸の進言により食料庫である烏巣(地名)を襲撃し、逆転勝利を収めるものです。

この戦いにより、曹操に降った人物として張郃、字は儁乂という人物がいる。

三國無双とかでも爪状の武器をもった魏の武将として登場するので、マイナー人物ではない。

基本的には孔明の北伐のときに敵として立ちはだかる名将で、少なくとも演義の中では張飛と互角に闘う(孔明評)ような人物。

だが、この張郃という人物、なぜか吉川英治に嫌われているのか、まあ単なるミス?と思われるが、都合3回死んでいるw

1回目が先ほど読んだ6巻の中で、関羽千里行の後、劉備三兄弟が合流し、一時豫州の汝南の城にいるわけだが、曹操軍に攻められた結果、敗れて荊州に脱出する流れとなる。

そのときの追撃軍に張郃と高覧(元袁紹軍で張郃と一緒に曹操に降った人物)がいるのだが、このときに高覧は趙雲に突き落とされ(これ以降登場しないので死んだと思われる)、それに巻き添えを食って張郃は関羽に殺される。

上で書いたように張郃が活躍するのは孔明の北伐以降なので、ここで退場する訳がないのだが、なぜか死んでいる。

10年くらい前に読んだときは気にしなかったが、今回は大いに笑わせてくれました。

2回目は多分7巻になると思われるが、孔明参入後に曹操が荊州に軍を進める劉備は慕ってくる民を連れて逃走するも、長阪で追いつかれて壊滅してしまう。

そのときに劉備の妻や子(阿斗、後の劉禅)と逸れるも、趙雲に救出されるわけだが、子を抱えた趙雲が劉備のもとに向かう途中に張郃が立ちはだかるわけだが、ここでまた殺られてしまう・・・

3回目は史実通りの死で、第4次北伐の際で退却する際に追撃してきた張郃を孔明が罠に嵌めて射殺す。

ちなみに張郃は魏の五大将軍の一人。

他は張遼、楽進、于禁、徐晃です。

posted by 士季 at 19:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月20日

三国時代の数学者

三国志オタクでも知らないであろう人物ですが、中国の数学史の中では歴史的な人物がいる。

その名は「劉徽(りゅうき)」。

姓から見て想像できるように、先祖は漢の諸侯だったみたい。

生没が220~280年頃らしく、漢が滅亡し、魏と成立したのが220年なのでまさしく三国時代の人物です。

魏の人物です。

劉徽は漢の時代(紀元前1世紀~後2世紀)に作られた算術書「九章算術」の注釈者として知られる。

この書物は問題集形式の数学書で、分数や面積の計算、平方根や立方根、鶴亀算やガウスの消去法による連立一次方程式の解法やピタゴラスの定理といったものまで記載されている。

ちなみにこの1次方程式の解法が乗っている章の名が「方程」というので、方程式という名がついている。

また円周率を3.1416という値を得ている。

π=3.1415926・・・なので、かなり近い近似値を得ている。

円周率の求め方は、円に内接する多角形の角数を増やしていくと円に近づいていくことから求めている。

この劉徽が求めたのは3072角形であり、アルキメデスは96角形で求めている。

数学や物理といったものは西欧で発展したもので、他国ではあまり聞かないところが多い。

西欧以外の国は実用できるものしか数学や物理は発展しなかったようだが、西欧ではアリストテレスの時代頃から整理というか分類というかしっかり基本を押さえ、証明とかしてきっちり学問としたところで差が出たのではないかと思われる。

「はじめて読む 数学の歴史」という本の中あり、なかなか勉強になった。

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2014年02月23日

貂蝉

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今、青空文庫で吉川英治の三国志(2巻目)を読んでいるのですが、貂蝉が死んだので、貂蝉ことについて少し語ろうかなと思う。

貂蝉といえば、中国四大美女の一人(他は楊貴妃、西施、王昭君)で三国志の中ではNo1の美女ではあるが、架空の人物。

ちなみに左の画像は、三國無双7の貂蝉。

王允の義理の娘で、その頃の天下人とも言える魔王、董卓を殺すための刺客?として登場する。

貂蝉直々に殺すわけではなく、その美貌を持って董卓とその配下で三国最強の武将、呂布とを仲違いさせて、呂布に董卓を殺させようとする(美女連環の計)。

まあ、それだけの役ではある。

架空の人物ではあるが、一応モデルになった人物はいる。

正史でも呂布が董卓を殺すのだが、その動機は呂布が董卓の侍女と密通し、それがバレそうになったから。

そのときに相談したのが王允だったので、こういう設定になっている。

また、上記の役柄だけなので、その後は作者の手腕しだいになっている。

原作とも言える三国志演義では、董卓死後も呂布の妾(正妻ではない)として呂布の死ぬ下邳城まで付き従っている(呂布の死後はどうなったかは書かれていない)。

中国の三国志演義を扱った雑劇では、関羽の妻になっていたりすることもある。

そのシチュエーションを使った日本のものとしては、陳舜臣「秘本三国志」とか三好徹「興亡三国志」とかがある。

秘本三国志では、呂布の死後に関羽が曹操に秦宜禄の妻をくれと言ったら、了承しつつ曹操がその秦宜禄の妻を見ると美人だったので自分の物にしたという史実をもとに、それをスケープゴートにしてこっそり貂蝉を奪うという巧みな演出をしている。

ちなみに曹操はどこぞの家康と同様に人妻(というか後妻)が大好きな人物である。

だが、多くの日本が描くものは、董卓死後で貂蝉が自害するのが大半(だと思う)。

どこかの本で、使命を成し遂げた後にもうこの世に未練はないということで死を選ぶという日本人ならではの美学によるものだと読んだ記憶がある。

今回、読んだ吉川英治のものだと、董卓暗殺後に呂布が貂蝉を攫いに行き、呂布の城に連れさられた後、自害している。

その後、遺書みたいな詩をしたためており、その詩により呂布は真相を知り、ブチ切れて貂蝉の死体を井戸に投げ捨てるようなことをしている。

死んだ後に呂布に愛されたくないということなのかなと思う。

横山光輝のものでは、確か董卓暗殺後に呂布を攫いに行ったら、もう自殺していたような気がする。

また別の展開として私はあまり好きじゃない(というか全く面白くないけど、オリジナリティがあったり、マイナーな人物を書いてくれるのでついつい読んでしまう)塚本靑史の「仲達」(だったか「曹操」だったか)では、華佗の弟子になって医者の助手(看護婦とか薬剤師的な扱い)になっているものもある。

これは民間伝承で、貂蝉は実は不細工で、王允が華佗にどうにかしてくれということで、西施の首と取り替えたというのを元にしたものだと思われる。

上記の本のメインはどちらかというと貂蝉の娘が徐庶と一緒になって、暗躍するお話でもある。

という風に三国一の美女ということで、いろいろと創作されていて面白い限りです。

読む気はあまりないけど、貂蝉を主人公とした小説もある。

Photo

ちなみに昨今、三国志とか日本の戦国時代の武将の美少女化が盛んになされている変な時代ですが(大好きですけどね)、貂蝉は逆に男性化されている。

左の画像の右側が貂蝉(左側が卑弥呼・・・)。

キモいけど、好きなキャラではある。

ちなみに貂蝉とは、漢書かなんかで見たのですが、貂(てん)というイタチのような動物の皮?と蝉の羽で作った冠の名前である。

たぶんこれから来てるんじゃないかと思われる。

posted by 士季 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする