2006年10月29日

ボウリング200越え3回目

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半年振りくらい(3月11日以来)にボウリングで200越えを果たした。
2週に1回くらい行ってるくせにたいしたスコアがでていなかったけど久しぶりにでた。
これはターキーだしたあと、8本倒してその後にフィフス(5回連続ストライク。ファイブバガーとも言う。)を出した結果。
8本のところもストライクだと9回連続で239まで行っていたのですが・・・

久しぶりにいい記録がでて大満足。
posted by 士季 at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月23日

中国古典の言行録

Ea7wooue 中国人は偉い
意外と言っていることは当たり前だが言われるまで気づきそうにもない言葉を言っている。


大なるものは時なり、小なるものは計なり(管子)



「何でも実行するのに大事なのは時(タイミング)であり、計画は2の次だ」ということ。

私の場合、まずある程度計画を立てて誰かに言って自分を追い込んでからでないと実行できないところがある(一応、有言実行はする。背水の陣?)。

この本にはそのほかにも論語などから名言などが書かれていて、その訳とどういう背景でこの言葉が言われたのかが書かれていて勉強になる。


ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士は「荘子」が好きで、物理学教室の学生に「そのことばばかり考えていると、いきづまってしまう。荘子なんかを読んでくれるといいんだが・・・」と言ったそうだ。

posted by 士季 at 09:50| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

市民オリンピック(06)

去年の市民オリンピックは不甲斐無い記録で終わった友人は今年は出るのか微妙なところだったが結局のところでた。
ある意味おいしい展開だった。
1跳躍目は助走に失敗したのか4m50。
スタンドから見ていても昔に比べて走れていないのがよくわかった。
2跳躍目はファール。
ちょっとだけファールしたらしい。
結構追い詰められた。
彼は最後からの2番目の順番で乾坤一擲の1跳だったのかわからなかったが最後に6m30を跳んだ。
旗がなかなか揚がらなかったからファールか微妙だったのかもしれないか、ちょっとおまけしてくれたのかもしれない。

結局そのまま優勝した。
かなり嬉しそうだった。一番嬉しいとか自分で自分を誉めたいとか言っていた。
基本的にほとんどまともな運動していないのにあまり衰えていない自分に嬉しがっていた。
筋力等は衰えやすいが、跳躍力(バネ)とかは衰えにくいのかもしれない。
自分の力を発揮できる場所があるのは羨ましい限りです。
posted by 士季 at 22:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月08日

ボウリングで注意!

ボウリングしていると注意を受けた。

1つは思いっきりカーブをかけるために軽いボールで投げようと重い、6ポンドを選んでいるとそれは子供用なんでと注意を受けた。
今まで普通に投げていたんだが注意を受けたんで今後キッズボールではやめようと思う。

まあ、これはいいのですが、2つ目の注意が少し納得いかない?
私の友人はいつも最高速を狙ってかなり本気で投げているのですがそれでレーンを痛めるような投げ方をしないでくださいと注意を受けたらしい(私が投げている最中に注意されたので私は直接は知らない)。
別にロフトボール(山なりのボール)を投げているわけでもないのに注意された。
確かに人と比べるとかなりのスピードがでているのでレーンの奥に当たるときかなりダメージを受けているとは思う。
ただ速いボールを投げているだけで注意を受けるとは思わなかった。
速いボールを投げて楽しんでいる我々(というよりその友人)にとってちょっと行く気がなくなる発言だった(実際、1ゲームでやめた)。


ちょっとむかついた。
衝撃を吸収するクッションかなんかでダメージを軽減しろよと言いたい。
posted by 士季 at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

介子推

G5dzm6ea 今まで宮城谷昌光の作品を20冊くらい読んできましたが、今のところこの「介子推」が一番面白かった。

基本的に歴史小説で描かれるのは覇者や王者、名君、名宰相、名将軍といった人を主人公に書かれているが、この人は陰の殊勲者。
名前は介推で尊称され”子”というのをつけられ介子推と呼ばれる。
孫子と孔子とかの子と一緒。

春秋時代の覇者の1人晋の文公に仕えた人。
晋の文公(名は重耳(ちょうじ))は訳あって諸国を放浪していた。(ある意味劉備と同じ)
放浪中、晋公(重耳の弟の夷吾)からの刺客に襲われるも重耳の知らないところでこの介推が防いでいたり、食料がつき、重耳もひもじい思いをしていたがこの介推が食料を探し出し重耳に差し出していたので重耳は飢えなかった(本人や部下達は3日に1回食事をするくらい)。
と重耳が苦しいときに陰で支えていたのだが誰もその功績を知らない。
重耳が晋に帰り、文公となってもそんなことは知らないので厚遇されなかった。
介推がこれほど重耳に尽くしたのは、重耳が伝説の王、帝尭のような理想的な社会を創ってくれると思ったからであり、功名心ではない。
晋の支配者となった重耳が功臣の要求に応じて論功行賞を行っているのを見て、幻滅し母とともに山に去っていた。
そのことを暗に重耳に知らせたものがいて重耳は自ら迎えに行っても出てこないので、重耳はこれは自分の過失であると公言しその山を介推のものとし介山と名づけられた。
この高潔さにより彼の名を不朽のものとした。


人にわからぬ悪を陰悪といい、人にわからぬ善を陰徳という。
陽は天で陰は地であるので、その善悪を裁くのは地であり、陰悪を働いたものは死んでからその報いを受ける。つまり子々孫々がその咎めをおい、陰徳の場合は良い酬いを受ける。そのものの徳こそまことの徳だ。
まさに介推のことを言っている。
天知る、地知る。
どんな隠れた人の行いもちゃんと見てくれている人がいる。


清廉高潔に生きた彼を描いたとても印象深い作品だった。

posted by 士季 at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする